男性ファッションを
語るには
石津会長の話から始まるが
VANと言う怪物ブランドが倒産後
第二次アイビーブームと呼ばれるものが
われわれアイビー少年
アイビー小僧?
達を不安から取り除いてくれた。
正確には第三次アイビーブームなのかも
しれない。
当時の学生達は基本的には
武道系、野球部などの体育会は学ラン
だけどヨット部やアメフトなんかは🏈
少しオシャレ
女の子は横浜スタイル
ハマトラとかいわれてた。
波乗りの連中はアイビーとは言えず
サーファーと言われてた。
もちろん怪しい奴らも多かった。
西海岸の風も吹いていたが
そのどちらにも人気があったのが
スタジャンコーデ
当時有名だった
ブランドが
MBマークのマクベスと
Wマークのウェイアウト
どっちが売れていて凄かったのかは
わからないが
なんせ波乗りの連中も
ファーラーのホップサックに
クラークスのワラビーに
マクベスのスタジャンを着ていた。
会長は伊藤紫郎さん
数年ほど前に旅立ってしまったが
元気でいれば
確かアイビー絵本の
穂積先生と同じ90歳かな?
たまたま
おいらは亡くなる4年ほど前に
ニューヨークのアテンドを頼まれていた。
日にちがはっきりすれば予定が立つが
はっきりしないのと
足が少し調子悪いのでご家族から
反対もあり
なかなか決まらずにいた。
おいらは
そんなこともあり
おいらがいなくても大丈夫なように
アメリカの取引先にも
声をかけていた。
その後、会長は別の方にも声かけていて
無理やり、家族の反対にも負けずに
決行した。
その後もまた
渡米の話をもらったが
家族の反対に勝てなかった。
さらにその後
おいらの知人からお誘いがあり
何度か
自由が丘の喫茶店の二階で待ち合わせ
仕事の話をするようになった。
ブランディングと企画と
ライセンスビジネスに
ついての話
たかちゃんの計らいからだった。
たかちゃんは
VAN 石津会長の最後の秘書
おいらとは
なぜか
気が合う仲間だ。
おいらができることなんて
大したことないのに
こんな資料を渡された。
東京オリンピックに向けて
また小さなアイビーブームを
考えてたのかも
しれない。
今となっては
ただの懐かしい話だが
なんとなく
たまに見せる
あどけない笑顔の
伊藤会長の顔を思いだす。
今となっては
この資料をどのように
すべきなのか
アイビーファンの方々は
気になることだろう
あばよ