おいらのルーツのご先祖に先生がいる。
アイヌの子供に日本語の言葉を教えていたらしい。
アメリカでもこんな話が
アイビーリーグはどこもユニバーなのに今でもこの大学はカレッジと呼んでいる。
何故なのか?
詳しくは色々説があるのだがこの校章を見てもわかるのだがキリストがらみの多くは宣教もあるが勉強や言葉を教えたりもする。
インディアンが二人本を読みながら歩いている。
そんな歴史が今でもUNIVを名のらない意味でもあるそうだ。
根本はアイヌ学校と同じストーリーだから
他のアイビー大学とは一線を越えていて、ただ単にアングロサクソンのための教育機関の大学を作ったわけではないのだそうだ。
卒業生の多くはダートマスでないとだめでダートマスカレッジだから入学したかった。
だから今でもその歴史に誇りを持っているというのだ。
おいらの爺さんも洗礼を受けていたらしいが
宗教が心の支えになったことは歴史上多くあるそうだ。
北海道の開拓や屯田の厳しさは相当なものであったが武士の流れを持つもと士族は
泣き言は言わぬ。
それでも厳しい寒さと飢えと開拓には相当であったであろう。
宣教師からの優しい言葉が幸せをもたらせたのだと思う。
アメリカでも同じことが
ダートマス大学のあるハノーバーは強烈な寒さで陸別町のようなところ
そこで開拓者たちは自分の幸せだけではなくて
人の幸せまでも含め教育に力を入れた。
都会のボストンの周りのハーバード大学とは少し違う。
今では検索すればわからないことはほぼない時代だが
風の強さや、寒さや熱さは人のやさしさや心の電波までは検索で調べたところで体験はできない。
たった二人のインディアンの歩く姿が厳しいい土地であってもとても幸せそうに見えるのはおいらだけだろうか?