おいらは入社まもないころ
先輩達に呼ばれては
走りをやらされていた
なんせ
社内では体育会育ちの
変なやつと呼ばれていた
諫早社長の前で
兎跳びしながら
巨人の星を熱唱
我社には非常勤の取締役に
Kさんがいた
Kさんと言えば
アイビー少年少女の憧れで
服飾評論家でもあった
こう見えて
なかなかのビジネスマンであり
諫早社長のお見送りなどのどきは
体が直角に曲がるほどの挨拶だった
その反面江戸っ子風情も愛していたし
そんなプライドもあった
京の着倒れ
大阪の食倒れ
江戸の履き倒れ
などと言い
パーティ終了の時は
必ず木場の一本締めで
ヨーポンで終えた
趣味は釣りに
落語に
音楽
ジャズなどは当時の慶應ボーイとしては
アメリカ、ファッション、アイビースタイル
そしてジャズと必須であったのだ
おいらの棚にも並ぶ
ビリーホリデー
このおばさんを愛していたのが
京子さん
ボロンテールのママだった
原宿から明治通りを渋谷に向かうと
右手にあって
周り階段のめんどくさそうな入り口で
ジャズのかかる店があった。
ここに来る客は
もと学生運動の赤の人
その反対の体育会アメフト部で
アパレルの先輩達
そして売れない作家達が
ああでもない
こうでもないと激論をし
でも京子さんにみんな憧れていた😍
良い意味も
エロい意味も含めて
アパレルはVAN のOBも多く
そしておいらの上司もいた
そしてその時代をリードした
アパレルメーカーの社長や専務もいた
みんな大学時代のアメフト仲間だったり
フォークソング仲間だったりだった
続