Eddy Handbook

エディだぜ。おいらの日頃感じてることなどとくに意味なく書いてます。

ジムニーが家族だった

おいらが東京都民の前のはなし

神奈川県の川崎市にいた

川崎といっても

多摩川の近くで

小田急線の向ヶ丘遊園

当時はかなり

ゆるくて

かってに

川辺で遊べた。

 

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給料も安くて

まだ長女が一人だったが

高いキャンプ道具を買って

毎週多摩川にやってきてた。

当時の愛車は

SJ30

いわゆる

ジムニー

 

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テントを張ろうが

キャンプやろうが

あまり

うるさいことは

言われなかった。

少々

焚き火しても

あまり文句も言われず

たまにお巡りさんが

 

火の始末だけ

きっちりお願いしますね!

 

それだけ

なんかとてもゆるかった。

 

当時誰もキャンプなど

してなかったし

キャンプ道具もなかなか

良いものはなかった。

 

山屋さんようの

コンパクトなものはあっても

車でキャンプなんて

誰も気にしてなかった。

 

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多摩川で練習を積んで

何度も

相模川や富士の周辺などで

とにかく遊んだ

 

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長女はみんなに可愛がって

もらい

かならず参加

とにかく

キャンプが好きだった

 

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薪を拾い

会社の同僚達も

とにかく遊んでくれた。

とは言っても

焚き火をするだけ

 

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長女は8ヶ月頃から

よちよち歩き

3歳頃には

3-4kmジョギングしてたので

薪拾いも大人と

同じように

拾ってた。

なんせ石と木が好きで

キャンプの帰りには

自然の宝物を

持って帰ってきて

かみさんは

かなり困ってた。

 

懐かしい

キャンプはいつも

ジムニーがいた。

 

あばよ