おいらが高校生の頃凄い本が発刊された。会社が引っ越しでどこに行ったか分からなくなったが
おいらのアメリカ好きには二つ影響があった。
一つ目は雑誌だ
とにかく衝撃的であった。それまではアメリカの意識なんてほとんどなかったのに
本気でいつかはアメリカへと思うようになった。
サラリーマン時期に専務からアメリカ行きの話があったが、結局いろんなことがあっていくことはなかった。
単身赴任であったが、憧れのアメリカ暮らしはサラリーマン時代には実現しなかった。
脱サラして重役に辞表を提出した翌日にアメリカに渡った。
まずは西海岸、LAに行き乗り継ぎ便をかなり遅らせて東海岸にいった。
その時にはそれなりの感動はあっても
この雑誌を見た時の感動ではなかった。
西海岸でもLAにはなんの魅力も感じなく東京とさほど変わりなくピンとこなかった。
この雑誌を見た14年後に訪れたのだが、世界も違うし環境もおいらが求めていたアメリカはほぼ、そこにはなかった。
LAではマリーナデルレイがあってそこはヨットマンにとっての聖地ではあったが
TOP-SIDERをはいてマドラスチェックを着たヨットマンには残念ながら一人も会えなかった。
マックのハンバーガーだけは裏切らなかったというより日本と全く違いその後帰国後は日本でマックを食べることはほぼなくなった。
この雑誌にはギターからアンプ、キャンプ道具に家具までなにからなにまでかっこよくアメリカ人はみんながそんなカッコよい生活をしているのだと勝手に理解していた。
もう一つの影響はやはりアメリカ、ジャストアメリカ、そんな感じの映画の影響だ。
この影響もかなり大きかった。アメリカの情報ならばいまならどこからでも手に入れることができるがあの頃は映画や雑誌以外では無理だったのだ。監督はジョージルーカスで製作はフランシスコッポラなかなかありえない組み合わせ。
とにかくかっこよくて不良高校生には最高の教科書だった。
そんなイメージも渡米の頃には全くなくて東海岸に期待することにした。
続く